僕が大人になる前に。

”モイ!”で始まり、”モイモイ!”で終わる、そんな日々。

今を楽しく!フィンランドのことから、コーヒーやスポーツのことまでなんでも!

Bias.「ぼくら」という名前の眼鏡をかけて。

どうもどうも

イッチーです。

 

 

 

突然ですが、

 

 

 

 

あなたは今、パーティーに参加しています。

そこにはスーツを着た大勢の大人がいます。その中には20代前半の若い人もちらほら。

その中の1人の若い青年があなたに歩み寄り、自己紹介をしました。

 

『初めまして。私は23歳です。この度卒業したものでして、こう見えても1年目なんです。よろしくお願いしますね。』

 

そう言って彼はあなたに名刺を渡しました。

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やや頓珍漢な自己紹介ですが、 

あなたはこの人が

 

何の1年目なのかー

 

想像できるでしょうか。

 

働いてる方は、想像しやすいかと思います。

 

 

僕らは日々

「ぼくら」

という眼鏡(バイアス)をかけて生きているなと思うことが沢山あります。

 

今日はそんな話です。

 

 

 

 

 

 

 

 先程の話に戻ります。

 

若いスーツ姿の23歳の青年。

彼は

何の1年目

でしょうか。

 

 

これはなぞなぞでも何でもありません。

普通に考えてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(下に答えがあります。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

『社会人の1年目』

 

 

 

 

 

 

でも、正解ですが、

これだと△です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の答えは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何でもいいのです。

 

 

 

自分の想像した1年目で正解です。

 

 

 

 

なので言ってしまえば、

 

 

社会人1年目でも正解です。

 

 

 

きっと多くの人が

 

「社会人1年目

 

と考えてしまったのではないでしょうか。

 

 

 

 

それは

 

 

 

私たちに「バイアス」がかかっているからです。

 

 

僕は、一言も

「社会人」とは言っていません。

 

もしかしたら、

大学1年目かもしれません。

日本に来て1年目かもしれません。

本当にもしかしたら社会人1年目かもしれない。

 

 

 

どんな1年目かは分からない。

 

 

 

けれど私たちは

 

スーツを着ている。(社会に出てるのかな)

23歳か。(きっと4年制の大学を卒業したんだろうな)

名刺を渡してきた。(働いているのかな)

社交パーティーに来ている。(交友関係を広げようとしている。ビジネスのため。。。?)

 

 

 

勝手に物事に対して色々な判断をしています。

 

 

その判断の結果として、

共通項としてあがりやすかったのが

 

『社会人の1年目』

 

だったということです。

僕がそういうふうに書いたのもありますが。。。。。

 

 

 

 

 

もっと突き詰めて言うと、

 

23歳と言われた時点で、

4年制の大学を卒業したからかな。

 

名刺を持ってスーツを着ている。

働いているからか。

 

というように、考えてしまったのではないでしょうか。

 

 

果たしてそれは本当にそうでしょうか。

 

 

もしかしたら、そんなことないかもしれない。

 

彼は、大学を卒業してないかもしれない。

 

元々、名刺というものに興味があって何年前から持ち歩いているのかもしれない。

 

 

 

 

 

全ては私たちの経験則からきています。

この経験が、バイアスに変わってしまっているということですね。

 

  

 

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(おー怖い怖い)

 

 

 

 

 

 

 

みなさんは、

アインシュタインの名言をご存知でしょうか。

 

 "Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen. ”

                Albert Einstein(1879-1955)

 

訳すなら、

 

「常識とは18歳まで身につけた偏見である。」

 

であり、

 

常識は、偏見に成り得る

 

と、考えることもできます。

 

 

 

つまり、

 

僕らは生きてきた

経験から

 

 

 

『この人はこうだ

 

 あれはこうなっている

 

 と判断する』

 

 

ということです。

 

もっと詳しく言うなら、

 

 

『この人は(きっとOOだから)こうだ

 

 あれは(きっとOOになっているから)こうなっている

 

 と(勝手に)判断する』

 

ということになります。

 

 

 

勝手に決めつけているのです。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、どうすればええねん!

 

経験なんてとれないし!

 

もうどうすることもできないわ~!!

 

 

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(仏のいっちーもこの形相!!!!) 

 

 

 

 

 

安心してください!

 

 

履いてますよ!

 

 

 

 

(笑)

古い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、

バイアスをもっていることによって便利なこともあります。

 

 

 

 

それは、

 

『ある程度、考えなくても予想し、

 それを的中させることができる』

 

 

ということです。

 

 

そういう意味では、人間が楽に生きていけるように

脳が設計されているということです

 

 

 

 

なので、

 

バイアスがあるからと言って

 

あんまり卑屈になりすぎず

どうすれば良いんだよ!

 

と思わなくても大丈夫です。

 

 

 

 

 

今回の記事では

これだけ覚えていってください。

 

 

 

『僕らには「ぼくら」という

 バイアスがかかっている。

 

 「バイアスがかかっている」

 ということを常に理解しておく』

 

 

 

 

これだけ理解しておき、

【バイアス】という眼鏡を常にかけていることを理解しておくことで

 

 

 

 

この人はこうだ!とは思わずに、 

 

 

この人はこう(かもしれないん)だ。

 

 

 

と、ある程度許容をもって接することができると思います。

 

心の容量が沢山になって

 

優しくなれると思います。

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心の容量が増えるとこうなる(かもしれない)。

 

 

 

 

 

眼鏡をかけているのに

「あれ眼鏡どこだっけ」

ということにならないようにしたいですね。

 

 

 

それでは!

Moimoi!