僕が大人になる前に。

”モイ!”で始まり、”モイモイ!”で終わる、そんな日々。

今を楽しく!フィンランドのことから、コーヒーやスポーツのことまでなんでも!

ツイてないけどツイてるらしい一日。

どうもどうも、

イッチーです。

 

 

今回は、先日起こった「ツイてない」出来事について書こうと思います。

ツイてない出来事は立て続けに起こるものなんですね。1つ目の出来事は自分の不注意による失敗なので引きずっていませんが、そのあとに起きたことがあまり喜ばしくないことでした。

前回のほっこり温まるエピソードとは打って変わって、悲しいエピソードです。

 

この出来事を書こうと思ったのは、この記事を読んで、何か思ってもらえるところがあれば良いなと思ったからです。

淡々と、事実のみを書いていくのつまらないと思ったので、臨場感が出せたらいいと思い物語調で書いたのでそれも楽しみつつどうぞ(楽しめない可能性もミリ有(笑))。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは自分の不注意から。

 

ここ最近、冬の寒さが厳しくなったことと、自転車のチェーンが使うたびに最低一回外れてしまい直すと手が黒くなることに抵抗を覚え、バスで学校に通うことが増えてました。

いつものバス停にアパートから雪を脚でかきわけ歩き、いつものように寒さに首をすくめ、いつものようにバスが来るのを待っていました。いつも2,3分遅れてくるのですが、その日もちゃんと遅れてきました(笑)。

いつも使っているバスカードを財布から出して、バスの機械に反応させる。

反応させ・・・

はんの・・・

 

 

ん。

反応しない。。。

よく見たら、取り出したカードはバスのカードではなく、図書館のカード。

そりゃ反応するわけがない。決まってしまっておく財布の真ん中のカード入れの部分に見当たらない。かといって、ずっと探していたら後ろに並ぶ他のお客さんにも申し訳ない。

そう思って、現金で運賃を払いそのままバスに乗り込みました。(現金だと、カードで支払うよりも1.3ユーロも割高。。。)

いつもと同じ1日。

唯一変わっていたこととしたら、いつも着ていたコートを今日に限ってスポーツするために薄めのジャケットを羽織っていたことくらい。昨日もバスを利用したけど、その際に財布に戻すのが面倒でそのまま、出してない。

そして、帰ってからも財布に戻し忘れた。

カードが見当たらないとしたらそれが原因だと瞬時に理解し、その日は仕方なく現金で払う。

これは自分の不注意。まあ、仕方ない出来事。

バスカードと図書館のカードの色が似ているため、感嘆の息が漏れるほど美しく流れるような動きで図書館のカードを出してバスを乗ろうとしたのがとても恥ずかしかった(笑)。

外からみたら、何してんの。ってなる光景(笑)あんた、それ図書館のやつうううう。。。。

って。(笑)

 

まあ、それはさておき、

 

 

 

事件が起きたのはこの後、午後5時くらいの事。フィンランドでは陽の光も無くなり、丁度辺り一面暗くなるころ。

その日はホストファミリーの娘さんと一緒にカフェに。珍しく平日に会い、家族ぐるみではなく、二人で遊ぶ約束をしていました。カフェに行き、クッキ―を1枚ずつ、ラテとティーをそれぞれ頼み、こっちのクッキーは甘いねとか、今日は何してたのとか、最近暇なとき何してるの、とか他愛の無い話を小一時間くらい楽しく和気あいあいと。

しばらく経って、僕はトイレに行きました。 

そのカフェはトイレが地下にあり階段を降りたところにあります。更に、ドアの前に行くと鍵らしき構造で覆われたドアノブと、コインを入れる様な細長い長方形状の穴が。。。日本のトイレとは違い、自由に使えないように公衆トイレやカフェのトイレはお金が必要だったり、暗証番号が必要なこの国。一瞬でこのトイレもそのタイプかと察し、お金を取り出そうとしたものの、コインを入れるにしては大きいコインの挿入口だと気づきます。お金がいくら必要とも記入されていない。これはおかしいと思い店員さんに話を聞きに行こうと戻ろうとしたその瞬間、

 

「ここにコインがあるよ。」

 

その声に気づき振り返ってみると、身長2メートルはある大柄のひげを生やしたスキンヘッドの男の人。その人は、僕がトイレの入り方を模索しているときに、ずっとその様子を後ろから見ていました。

(でも、そのコインはあなたのためのだよね)

そう切り返す前に彼はコインをそのドアノブの穴の中に入れ、それに呼応してビーッという音と共に緑色の蛍光色が明るく光る。

彼は自分の身体と水平に大きく手を下から肩まであげて、「さあ、どうぞ」と言わんばかりに先に僕を入れようと促す。

Kiitos.」

慣れないフィンランド語と笑顔で精いっぱいの感謝を伝え、その優しさに甘んじて一緒に中に入ることに。そのあと、彼は僕に

「Moi.」

と軽く挨拶をし直し、

「どこから来たの」

「何してるの」

「何を勉強しているの」

と、質問攻め。

普通に気さくな人だと思い、よくあるスモールトークを交わしていました。

 

 

 

 

何気ない、普通の会話。

何気ない、いつもの挨拶と返事。

何気ない、男の人。

 

なにげない、いちにち。

 

 

 

 

スポーツを勉強しているというところまで聞かれ、何でスポーツを勉強しているのか聞かれたので答えようとおもっていた時。

 

 

 

 

急に、彼が

「何でスポーツを勉強しているんだって言ってるんだよ!!」

 

 

 

 

 

声を荒げて私に質問を催促してきました。僕は彼がなぜそこまで血相を変えて答えを求めているのか分かりませんでした。きっと、自分の質問の答えが遅かったから、そんなに複雑じゃなくでもっと分かりやすく教えてよ!ってことを言いたかったのかもしれない。そう思い、

「Because I like it.」

誰にでもわかる、一番簡単で単純な返答をしました。

彼の激高は落ち着いたかのように見え、そのまま会話せずにもうそのまま帰ろう。そう思いました。ただ、彼の口からすかさず次の質問が。

「親はどれぐらい好きなんだ。」

質問の意図も、これまでの話との関連性も全くありません。ただ、聞かれて困る質問でもなかったので、説明しました。

「Humm, it is hard to explai・・・」

しかし、彼はすべての返答を聞き終わる前にまた

 

 

「だから、親はどれぐらい好きって聞いてるんだよ!」

 

 

急にまた、怒鳴りだしたのです。今度は急に近づきながら。僕たちの距離はわずか数10㎝。どうすることもできません。この時点で、僕は”彼”に若干の違和を感じていました。何かおかしい。普通の人ではない気がする。このままでは危ない。Fight&Flight のとうそう本能が働き始めます。心臓の鼓動もそれに比例するように上り続け、自分の身体もこの事態は異常だと感じていました。ただ、そのカフェの小さなトイレとそれに見合わない”彼”の大きな身体の間に、残念ながら逃げる余地はありませんでした。何しろ彼のいる位置は唯一逃げれる扉の前だったから。

 

この事態の中でできるだけ当たり障りのない答えをしよう。そう思い、口から出てきた言葉

「They are the best of me.」

”彼”はその言葉を聞いてまた落ち着きを取り戻します。

ただ、非常事態には変わりありません。またいつ何が起きるか分からない。この場から早く立ち去ろう。その途端、”彼”は私の腕を思いっきり強く掴み、今まで聞いたことのない言葉を投げかけてきました。

 

「俺は、お前の中にいる悪魔を知っている。」

 

 

 

 

 

 

何を訳の分からないことを言っているんだ。

 

心の中では嘲笑していました。

そのまま、面白いね、それ。とか言って、笑って出て行く。

 

 

いつもの自分なら、、、、、

 

 

 

できない。

 

血流が滞り、波打っているのが分かるほど強く掴まれた右腕と、”その人”の瞳孔の開いた鋭く刺す冷たい視線が僕をそうはさせなかった。

 

向かえる言葉もなく、そのまま”その人”をまっすぐに見ていると、悪魔が私の中にいることを主張続けます。すると、今度は急に

 

「ハグをしてもいいか。」

 

そう話してくるのです。

 

(死ぬよりはましか。)

 

そう思ってとりあえず形だけしました。もしかしたら、同性愛の人なのかもしれない。自分は海外の人から見たら、身体の線も細いし、童顔寄りで、かわいげに見えなくもない。もし言い寄られた場合、どうしよう。体格差では圧倒的に負けている。恐らく、ここから逃げるとしたらあの扉からだけれど、この距離でダッシュして扉に運よく行けたとしても、あの重そうな扉を開けているうちに捕まってしまう。そうなったら今よりもさらに悪い状態になる。どうしよう。

 

解決策は全く見つかりません。

頭の中でぐるぐると抜け道を探していると、”その人”は奇怪な言動を続けてきます。

 

「お前、手を組んでみろ。」

 

 

 

言われるがままにやると、左手の親指が上にくる組手になります。

 

(確か左の親指が上にくる場合、女性脳の傾向にあったんだったけな。それを試しているのか。)自分で勉強した心理学のちょっとしたテストがこんなにも最悪な形で想起されるとは思ってもみませんでした。最悪の連鎖です。

 

左の親指を見るなり

「You are the left.」

そう言い放ちます。なんのことかさっぱり分からず黙っていると

「お前は左だ。」「お前は左だ。」

主張し続けるだけです。

このまま黙ってて誰か入ってきたら、いの一番に「あなたの言っていることは分からないから、帰っていいか。上で待っている人がいるんだ。」とでも大声で言って、見知らぬトイレを使う人に助けを求めよう。そう思っていましたが、誰かが来る気配はありません。勿論、事態が好転する様子もありません。

 

”その人”は、僕がその「左」定説に反応しないことがわかると今度は

「ここがお前の一番固いところだ。」

そう言って、中指の付け根の手根骨にあたる部分を強く押してきます。

更に言葉をかぶせるようにそのままの勢いで

 

「お前の弱いところはどこだ」

 

 

そう、聞いてきます。

 

 

もう流石によく理解できず、これは危害は加えるつもりはなくて、絡んできてるだけなのかもしれない。

 

そう信じて、

 

「あなたの言っていることは分からない。帰る。」

 

突き放した様にひどく、低くこもった声で返答しました。トイレに入れてくれた時とは、180度変わった冷めた態度で。

 

 

 

帰ろうと

脚を扉の方に向けた

刹那

 

 

《ガッ》

 

 

胸に強い痛みが走りました。注射を打たれた時の鋭く刺さる、棘のような痛み。

”そのひと”は、私の胸に平手打ちをしてきたのです。

何の前触れもなく、ただ突然と。

”そのひと”の眼光は鋭く光っているとか瞳孔が開いてるとかそういう類のものでは無く、ぼくの目にはもう霞んだ灰色の丸い球体がこちらを向いているだけのように見えました。

 

(もしかしたら、本当に死ぬかもしれない。)

そんなに知識はないけれど、最近はテロもあるし何かと物騒。留学当初にもトゥルクで殺人事件があったし。フィンランドで何が起きてもおかしくない。事件なんてそんなもの確率論でしかなくて、場所とか人とか時とか、決まってない。偶然による必然。そんなもの、巡り合わせでしかない。思えば、今日の朝からついてないことがあったな。あれが前兆だったのかもしれない。心臓の鼓動も脳で感じられるほど大きく、高鳴り、悪い考えばかりが浮かんでしまう。

 

何とかしないと。

そう考えていると、”そのひと”の口から僕に向けて

「後2分、俺に付き合え。そして今度はお前が俺を殴ってこい。」

 

そう言って、胸を突き出してくるのでした。

本当なら、思いっきり殴りたい。一時的にでもいいから心臓が発作になって僕がトイレから逃げれるくらいに。それならこの状況から抜け出せる。ここまで来たらこれは正当防衛になるはずだろう。いやそれでも、人を殺める危険性は取りたくない。

 

その大きく突き出た”そのひと”の胸に、か弱く乾杯の時のグラスを鳴り合わせる様な力でやり返しました。すれ違いざまに肩と肩がぶつかる方がよっぽど、痛く響くくらい弱く。これでやめようよ。もう終わりにしよう。そういう意味をこめながら。

 

そんな薄氷のようなちんけな希望は簡単に潰されて”そのひと”の思惑の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

《ガッ》

 

 

 

”そのひと”は2度目の痛みを僕に与えてきました。こんどは平手ではなく、固く握りしめて。2倍ほどの威力で。息が止まるかと思う程、後ろにある手洗い場にぶつかる程、強く速く。

もう僕の眼からは霞んだ瞳すら捉えることは無く、数十分前の”そのひと”の優しい面影は全くありませんでした。ただ、誰かがいた。

 

(このままだったら、本当に何が起きてもおかしくない。)

 

けれど後ろにも前にも逃げ道は無く、本当にどうすることもできません。ニュースやネットの中でよく目にしてきていた『その時、何も抵抗することはできず、ただ災難が過ぎ去ることを願っていました。』という言葉に対して、「さすがに逃げられる、怖がりすぎだよ、俺なら大丈夫。」そう思い高を括っていました。

 

 

実際はちがう。本当に何もできない。声を出すことも。相手に背中を見せて逃げることも。もし相手が何か凶器を持っていたら。もし相手が精神異常で自分の予測を更に超えてくる行動をしてきたら。ただ、ただ、難を逃れて好機が来るのを待つことしかできない。運動能力には自信があって、足も普通に早い。力だってある方だ。けれども、自分よりも大きく、敵対心むき出しの分かり合えない相手に対して、狸の皮算用的能力は価値を見失ってしまう。どんなに能力が優れていて、それら全てを掛け算しても最後に0をかけられている気分。ひたすら無力感と恐怖心に襲われる。

 

”そのひと”はまた、僕に痛みを覚えさせるや否や「お前も殴ってこい」というような表情で、こちらを見てきているようでした。

これ以上やったら、こっちが心臓発作になるかもしれない。そう感じて手を出すことはやめました。”そのひと”はこちらの意を理解し、また、僕の左手を触り「You are the left.」そう続けます。「Where is the weakest in your part.」と、鼻息を荒くして続けます。しまいには掴んでいる左の指をすべて握り、両手で覆ってきます。もう指の2.3本、折られてもいいや、そしたら、正当防衛も成立する。

既に、僕の思考すらもおかしな方向へ向かい始めていました。

 

”そのひと”はすかさずその両手で僕の左手を、今度はトイレの手洗い場のガラスに叩きつけました。

 

《ガンッ!ガンッ!》

激しく、何回も何回も。

 

 

数回すると”そのひと”は落ち着きを取り戻し、少し距離を僕から取りました。その距離は今までで一番遠く、立ち位置も運よく扉とは逆方向でした。

 

好機が来た。逃げよう。

 

その一心でした。何くわぬ顔で冷静を保っているように、挑発させないように、トイレのドアへ向かい、

「帰る。待っている人がいるから。彼がこっちに来ると思うから。」

 

そう言って出ていこうとしました。

”そのひと”も満足したのか、それ以上僕についてくることは無く、

 

「One day, I'm gonna meet just you.」

 

人差し指をこちらに向け、顎が少し上ずった状態で、見下すようにそう言い放ってきました。恍惚とした様子は表情からも身体全体からも”そのひと”から出ていたことは覚えています。結局30分間ぐらい、2人きりでその間は誰も来ませんでした。

そのあとにかえした言葉はあまり覚えていません。多分「Hope」とか、そんな言葉を言ったんだと思います。

 

【生きていて、無事でよかった】

 

最初にトイレから出て、思えたことです。

 

そのあとのことも良く覚えていません。ホストファミリーの娘さんと一緒に来ていたので、事情を話しましたが、何をどう話したのか覚えていません。その時はカフェから外に出たいという一心でした。けれど、トイレから出てきた”そのひと”とまた鉢合わせしてしまうかもしれない。強く打たれた左胸と叩きつけられて赤くなった左手だけが痺れていたことだけは脳裏に強く焼き付けられています。すぐには、席から動けませんでした。

 

 

後から分かったことなのですが、そのカフェはバーと隣接しており、酔っ払っている人も自由に出入りできる状態。彼も、そのバーのところにいた一人です。だからおそらく、彼は酔っぱらって僕に絡んできた一人なのだろうと、、、

そう推測しています。本当のところどうかは分かりません。元からそういう人なのかもしれないし、何か僕が彼に対して癇に障る態度をとってしまっていたのかもしれません。

一つはっきり言える事は、僕はそのカフェにはもう行けなくなってしまったし、しばらくの間は公共のトイレに入ったり、狭く逃げられないような場所に1人で入るのに抵抗があるということです。

男性が今回みたいな人ではないわけだし、ましてや偶然起きたことなのだから、大丈夫だよ。そう言い聞かせますが、

 

【もし、万が一似たようなことが起きてしまったら。】

 

無意識に考えてしまいます。無いと分かっていても。ありえない状況でも。

 

自分がトイレに入った後に誰か来るんじゃないか。もしかしたらあるんじゃないか。

 

 

そんな要らぬ疑いは巡り巡って「この人は信じていいのだろうか」。

ふと、そんな風に置き換わってしまうときもあります。

そんなことを考えていても仕方のない事くらいわかっているけれど。

それでも、この記憶は無くならず自分の中に今のところ残っています。

 

人間の脳は記憶の書き換えがあって、忘れることもできる。それが利点。だから早く忘れたい。けれど、トイレに行こうとする度、あの人と似たような体格・雰囲気の人を見るたびにこの記憶も感情も「フッ」と急に蘇ってきてしまいます。

早く、できるだけ薄くこの記憶がなくなることを望んでいます。自分ではどうすることもできません。前の記事でも書いたけど、向き合う事も時には必要だと思うので、対処していこうと思います。

 

 

 

 

 

今回のことが起きて、

その人の抱えている「記憶」や「思い出」、「トラウマ」等は拭い、真っ白な状態にすることは難しいのかな。と思いました。

辛い記憶やトラウマは、【出来事】ではなく【感情】として保存されてしまう。そうなった場合、対処するのは難しいなって思います。

周囲の人はどれだけ理解しようとしても、限度はあります。ただ、今回僕も感じましたが、1つだけ周りの人が力になることができるなと思いました。

 

それは「話を聞いてあげる事」。そして「理解しようとする事」です.

 

理解することに限度はありますが、

必ずしも「理解する」ことを目標とせずに、「理解しようとする」その姿勢をみせ続ける。

という事が重要ではないかなと思います。

 

僕は今回、友達に電話しました。自分のことで忙しいはずなのに、その友達は時間を割いて僕の話を聞いてくれました。それだけで、まず感謝です。本当に心の支えになります。

「話を聞いてもらえる」ことで、感情の共有が少なくとも二人の間で働きます。それによって負の感情は減少しやすくなるし、言葉として外に出した分、ストレスも減っていきます。アドバイスをする必要はなく、純粋に話を聞いてみる、理解しようとする。これってすごく大事なことなんだと思います。

個人的な考えなので、この辺に関しては、もっと心理学勉強してみて突き詰めたいです。

 

 

 

これが、今回の全容です。

これを’本当に’知っているのは彼と僕だけですので、彼の口から聞いてみたら真実はまた変わるのかもしれません。ツイてないけど「(悪魔は)ツイてる(と言われた)」一日でした。

これを今回書いたのは、最初にも言いましたが、自分の経験が何かみなさんの役に立つことがあればいいなと思ったからです。

「こんなことも起きるんだ、気をつけなきゃな。」

「誰かの心の声を理解しようとすることって大切なんだ。」

個人個人でこの記事のくみ取り方はあると思うので、その人にあった読み方をしてもらえたら嬉しいです。

 

 

「自分の身は結局は自分でしか守れないし、自分の心の中も自分が一番理解できる。」

友達が言っていた言葉ですが、核心をついている言葉で染み込むように自分の心にはいってきました。

自分ができる危機管理は十分に行っていきたいと感じた出来事でした。

 

 

いっそ、バンバンに身体を鍛えてしまうのが手っ取り早いのかな。。(笑)

それとも、グラサンつけていかつい感じをだしていくか。。。

 

 

めげずに頑張っていくぞ~!!

 

 

それでは!

Moimoi!

 

 

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